僕にとってのTeton Bros.

開発ストーリー

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長野県白馬村在住、国際山岳ガイド山岸慎英氏から「Teton Bros.」に関するコラムが届きました。


世界中のアウトドアブランドは、アメリカ系、ヨーロッパ系、そして日本系など様々あり、日本市場にあるアウトドアブランドの数は世界でもトップクラス。
その日本市場の中で常に進化し続けている「Teton Bros.」の魅力は、作り手の想いが1着1着に詰まった、シンプルかつ機能的なウエア開発にあると僕は感じています。

僕が初めてTeton Bros.と出会ったのは、原宿のとある山道具店内のバックカントリー用ウエアコーナーでした。そこで見たTB JacketとTB Pantは僕の脳裏に強く焼き付けられています。以前からウエアメーカーの開発テストをしてきた経験から、Teton Bros.がこだわり抜いたウエアであることが伝わってきました。

それまで登山ウエアメーカーのサポートを幾つか経て感じていたのは、自分の理想的なウエアを形にしてみたいということでした。「こんなウエアウエアがあったらなぁ」という漠然とした思いは次第に具体的になり、当時サポートを受けていた海外ブランドの担当者に「こんな感じのウエアが欲しい」、「こんな感じにして」と絵コンテを渡し、どんな返事が来るかと期待して待っていたところ戻ってきたのは「デザイナーには伝えたが、基本はデザイナーが決めた物を使ってもらう」という答えでした。

それ以来次第に、一緒に開発ができるウエアメーカーは?と思うようになりました。そうした理想を胸に秘めながらも自分の活動を行っていました。当時、サポートして頂いていた登山メーカーを離れた時に、最初に連絡をくれたのがTeton Bros.の鈴木紀行さん(ノリさん)。
「夏山のウエアを作りたいから協力して欲しい」とアメリカから電話をいただいたのです。そのとき、自分の理想に近づけると期待に心が躍りました。

当時のTeton Bros.は、バックカントリーウエアとしては確立していましたが、登山ウエアとしてはまだ知名度も低い頃でした。ミーティングに行くたびに、「ジッパーの位置をズラしてほしい」「岩に擦るから裾や袖を細くして……」「膝に補強を入れて……」「腕、肩、膝、腿の動きをスムーズに出来るようにマチを入れて……」などなど、たくさんの要望を伝えました。すると、すぐに意見を取り入れて形になり、形になったウエアはフィールドでテストし、さらなる改良につなげていきます。

こうして望んでいた製品開発に携わることになりました。後々よく考えると、攻めたウエアも多く、当時は売れなかったのかもしれません。あれから数年経った今、細身のパンツや、アノラック、顔にジッパーが当たらないウエアなど、デザイン性と追求され続けてきた機能美が多くの登山者の心を掴んでいると思います。

オフィスへ行きノリさんに会うと、新しい生地やデザイン案の話になります。Teton Bros.の進化が止まらないのは、ノリさんの強い探究心から来るものだと感心させられます。こんな生地のウエアがあったら、生地の強さと、しなやかさ、軽さ、伸びなど備えていたら……と僕の頭の中で思って言いたことを、見越していたかのようにノリさんに言われることも多く、ウエア作りへの情熱をそこかしこに感じます。

僕の妻もTeton Bros.の愛用者で、「Teton Bros.のジュンコさんのデザイン、サイズ感がピッタリ!」と言い、気が付くと、夫婦でペアルックになっている事も。
夫婦共にTeton Bros.がある生活、Teton Bros.と共に生活を送っていると、ふとした時に思います。

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この記事を書いた人

山岸 慎英

山岸 慎英

白馬村を拠点にして、高所登山ガイド(ヨーロッパ・ヒマラヤ・南米)・スキー教師・バックカントリースキーガイド・フリークライミング・アイスクライミングガイド・山岳救助隊など、幅広く活動中。 夏場はFrance Chamonixを機転に山岳ガイド業務をヨーロッパアルプスにて実施。 日本国内で初めての本格ヘリスキーツアー「Powder Dragon Heli Ski Tour」を実施。

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